カレンダーをめくる時
2009年 07月 01日
今まで相当枚数のカレンダーをめくってきたが、
その度気が引き締まる瞬間。
バリッとめくると、その月に見合った絵柄が登場して「わっ。」と感激し、
捨てることになる前月のカレンダーを見て「早いなぁ。」と嘆息し、
新たな月に新たな目標を立てる。
まぁ、次のカレンダーをめくる頃には忘れ去られていて、
気付くと最後の一枚になっていることが、ここ何年も続いているのだが。
先月末、写真展を見に行った。
いつも含蓄のある言葉を語ってくれて、会って話をする度
自分の気持ちを、正直に整理する気にさせてくれる、
私にとっては心理カウンセラーのような友人から頂いたチケット。
近いし、二つの用事の暇つぶしになるし・・・と軽い気持ちで訪れた。
ブログに写真を載せるようになってから、写真は私にとって記録でしかなかった。
新聞や雑誌の写真も、事件や事故の決定的瞬間の記録でしかないと思っていた。
しかし、実際の写真を見て、プレスカメラマンは芸術家だと実感した。
昭和初期から中期当時のカメラは大型でフラッシュが外付けになっている、
よく古い映画で見かけるタイプ。
この、持ち運びすら大変そうなカメラで、大勢の記者やカメラマンとでごった返す中で、
決定的瞬間を写す。
それだけでも大変なのに、細部まできっちりピントが合っていて、構図も素晴らしく、
その上見ているものに訴えかける「何か」を持っている。
新聞や雑誌に載ってしまうと半減してしまうのだが、実物はものすごいオーラを放っている。
被写体をじっくり見据えて、何時間もかけて撮影するプロのカメラマンと少しも変わらない。
兄が(一応)カメラマンなので、撮影技術の難しさはなんとなく分かる。
しかし、今回の写真は、技術の優劣ではなく意識の強さを感じた。
プレスカメラマンとして、記録のみの写真を撮ろうと思えばそれなりの写真が撮れるだろう。
しかし、彼らは写真を己の意識の表現の場として、命をかけて撮っている。
被写体がどんな些細な出来事、無名の人物であっても、その熱意は変わらない。
その気迫は、月日が経っても少しも薄れない。
私はブログに写真を載せているが、これはただの記録に過ぎない。
足りない部分をこうやって文章で補っている。
でも、いつか、言葉なくしても、オーラがにじみ出るような、そんな写真が撮れたら。
恐れ多い野望を抱いてしまう、そんな展示会だった。
カレンダーをめくった時、ふとそんな目標をかかげたくなった7月、スタート。
by melissan
| 2009-07-01 11:14
| 東京生活