武家屋敷の一角にあって、風情ある料亭でした。
東京にあったら敷居が高くて入れない雰囲気・・・。30近くのお品書き、読めない漢字多数。
でも家族全員完食。しあわせ!

お料理の写真?あまりにおいしくて撮るのを忘れるほど。(言い訳)
娘は「wormかと思った」白子(言い得て妙・・・しかしそんなもの出すか!)や
「フォアグラほどおいしくない」あんきも(ぜいたく者!)を、
きれいに食べました。
外国人にとって、高級和食ほど食べる勇気のいるものはありません。
頭がついている小魚だって恐ろしいのに踊り食いだなんて!
なまこや白子は食べ物とは思えないはず。
日本食初めての外国人には、やはりしゃぶしゃぶやすき焼き、てんぷらや照り焼き
といったオーソドックスなものが無難です。
日本では女性が男性にチョコレートを贈るのが習慣ですが、欧米では恋人、友達、家族など
がお互いにカードや花束、お菓子を贈ります。チョコレートはむしろ男性から女性に
贈られることのほうが多いです。
スーパーなどではバレンタインメッセージカードが箱入りで売られ、子供たちはクラス
メイト全員と先生に、そのカードを配ります。(クリスマスの時より大変で、かなり前から
準備に入ります。)ちょっとした贈り物やキャンデーを添えることもあります。ですから、
バレンタインデー当日、学校では、大勢の人たちから贈り物を入れてもらうために、箱や袋を
机の上に置いておきます。
カードには“Happy Valentine’s Day!”と書くのが一般的。
恋人や夫婦間では、“Be my Valentine”とか“From your Valentine”などと書きます。
一ヵ月後のホワイトデー(3月14日)は日本や韓国のみの行事で、欧米にはありません。
バレンタインデー同様、お菓子メーカーのキャンペーンに拠るものです。
そして、今や4月14日は日本ではオレンジデー(さらに愛を深めたカップルのための日)、韓国ではブラックデー(独り者が真っ黒のジャージャー麺を食べる)があり、5月14日にはローズデー、イエローデー、6月14日はキスデー・・・とほとんど飽和状態。

バレンタインデーの歴史は、
西暦3世紀のローマ帝国の時代までさかのぼります。
当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日でした。
ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもあります。
翌2月15日は、豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日でした。
当時若い男たちと娘たちは生活が別で、
祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を
桶の中に入れ、翌日、男たちは桶から札を1枚ひきパートナーを決めました。
二人は祭りの間一緒にいることと定められ、
多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、結婚しました。
皇帝クラウディウス二世は、
男たちが、自分の家族や愛する者たちと去りたくないため
なかなか戦争に出たがらないので、結婚を禁止してしまいました。
ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)の
キリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、
かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。
これが皇帝の知るところとなり、投獄され、ついに処刑されました。
処刑の日は、ユノの祭日であり、
ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。
なぜならバレンタイン司祭を、ルペルカリア祭に捧げる生贄と
するためだったのです。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、
恋人たちの日となったのです。